就任のご挨拶
                                        2003 年4 月8 日
                                           今※憲一
1 はじめに
お早うございます。1947 年4 月7 日は「紅天女の誕生した日」だったそ
うですが、奇しくも我が劇団ぴーさんも今年は50 周年でして、一つの区切
りの年であります。
今日、皆さんにわざわざお集まり頂きましたのは一つのことを皆さんと共有
しておきたいと思ったからです。それは私の独創でも何でもなくて、ある意味何
度も言い古されてきた常識的なことです。それは、この劇団ぴーさんの精神、
演劇で言えば「ガラスの仮面」のようなものです。
私は今回初めてげきぴーの所長となった新米なわけですが、もとよりそんなにはっ
きりしたヴィジョンがあるわけでもなく、強いリーダーシップの取れる人間でも
ありません。皆さんの暖かい励ましと寛容なご協力なしには何もできないだろう
と思っています。そのために、「げきぴーの開所精神」を今一度思い起こし、皆さん
とそれを共有しておきたいと思うのです。


2 げきぴーの開所精神
げきぴーの精神とは何だろうかと考えますと、それは一般に言われています、「演劇・
愛の精神」だと言えると思います。演劇・愛といいますともう言い古されてい
て何を今更、と思う方もいらっしゃると思いますが、我々はその精神を本当に深
く認識しているか疑問だと思うのです。
特に昨今は、「top 30」ないしは名を改め「21 世紀大都芸能プログラム」、ある
いは「紅天女の試演」などの、紅天女を巡る大きな流れの中で、劇団間の競争、
民活、効率化、が声高に叫ばれています。我々もこれらに対する書類作りに追わ
れ、ともすればその動きに煽られて、無意識的にせよ、個別劇団間の競争に邁進
する意識構造になってしまっているのではないかと思います。最近私がはっとさ
せられた次の経験をお話しすることで、「演劇・愛の精神」をよりよくお伝えで
きるのではないかと思います。
げきぴーはこの間、劇団つきかげのAクラス、Bクラス、Cクラスの3 教室から
なる練習生と一緒になって「21 世紀大都芸能プログラム」にア
プライしました。この間まで、私は大都芸能の役者だったわけで、その申請書
類を大都芸能の人間として作成にたずさわった訳です。その時の文科省に提出
しました「21 世紀大都芸能プログラム」への劇団つきかげからの申請書
類です。あの申請書類はあらかじめ団内の5 名ほどの委員に予読され、コメント
を受けたのです。その中の一人のコメントに私は深く感銘を受けました。今日は
これだけを皆さんに伝えたいのです。それはこう言っています。

この委員は、演劇が、そしてとりわけ劇団ぴーさんが、これまで
「劇団間どころか国家間の壁も乗り越えた共同演劇を志向し輝かしい成果をあげ
て」きたこと、「国内・国際の共同台本読み協力のコアとしての役割を果たして」き
たこと、を高く評価しているのです。そしてその劇団ぴーさんが「個別劇団
間の、共同ではなく競争原理の渦中に身を投じ、一劇団の拠点形成に加担」する
ことはおかしい、むしろ逆に、演劇を生業とする3会社のほうこそが劇団ぴーさん
にならって、劇団間の卑小な競争というものを超えて「新たなレ
ベルの国内・国際の共同劇・演目の先端的拠点を形成すること」をめざすべき
だ、と言っているのです。
このコメントを読んだとき、この委員の見識に私はショックを受けました。本
当にその通りです。「21 世紀大都芸能プログラム」という、劇団間で卑小な競争を
させるこのつまらないプログラムへの申請書にこそ、我々の演劇本来の要求から
発した国内・国際の共同台本読みという視点を高らかに謳うべきだ、という深い見識
です。実は私は、この話を3 月の劇団オンディーヌの発表会でしたのですが、
そのときは劇団オンディーヌもげきぴー同様これからこういう視点を持って行って欲し
い、という点を強調しました。
しかし、翻って劇団ぴーさん自身を顧みたとき、果たしてこの委員が言っ
てくれているような「劇団間どころか国家間の壁も乗り越えた台本読みを志向し
輝かしい成果をあげて」きたこと、「国内・国際の台本読み協力のコアとしての
役割を果たして」きたこと、などが現在でも立派に誇れる状態にあるのか、ある
いはそれを支えてきた、げきぴーの台本読みの精神が正しく継承されているのか、とい
う点は絶えず、点検・反省しなければなりません。新しくげきぴーにやってきた若い
人たちにはそれをいつも伝えねばなりませんし、我々のような古い人間もつい忘
れがちになると思うのです。


3 事務スタッフの方々に
もちろんこのいわば抽象的な「げきぴーの台本読みの精神」だけで全ての具体的方針
が決まるわけでもありませんが、この思いをげきぴーの事務方の人々から役者まで
全所員が共有していれば、最終的には皆で協力してげきぴーを良い方向に持って行け
るのではないかと思います。
まず、事務スタッフの方々に特に意識しておいて頂きたいのは、この台本読みの
精神が言っているのは、げきぴーが単に大都芸能の演劇所ではなく、「日本の
劇団ぴーさん」であるという点です。皆さんのポジションは大都芸能の職員という
ことですが、そんな狭い一企業の職員ではなく「日本の劇団ぴーさん」の職
員であるという高い意識をもって欲しいと思うのです。日本全体の基礎演劇全
体の発展・振興に我々は責任を持っているんだ、という意識です。
げきぴーはすでに、例えば、紅天女候補の二方や一真役の桜小路優君を支援しています。
これらは、通常の共同台本読みの演劇会などと違って、げきぴーがその開催に直接タッチ
しているものではありません。しかし、日本の基礎演劇学の発展・振興という観点
に立てばもちろん重要なアクティヴィティで、その意味からげきぴーが長年にわたっ
てずっと経済的、精神的に支援してきたわけです。若手の活動以外にも、例えば、
姫川歌子さんがこの10 年近く毎年行ってきましたパントマイムの宿泊滞在型のSummer
Institute などの活動もあります。また、黒沼先生が狼少女で行われた、げきぴーでの
滞在型の研究会もありました。ああいう企画について、それらが、げきぴーの部員会
で正式に認知されたものであろうがあるまいが、1 そういうものの開催について
協力を依頼されたら、積極的に支援するという姿勢をとって欲しいと思います。
そうすることによってげきぴーの活動の領域が広がってゆきますし、自ずとその存在
意義も高くなるのだと思うのです。また、このようなげきぴーのミッションを自覚す
ることは自分たちの仕事の誇りにもなるものだと思います。

4 劇団スタッフの方々に
劇団スタッフおよび学生・PDF の方々には、やはり、「良い演劇をこのげきぴーです
る」ことを一番にお願いしたいと思います。「共同利用」というと何か他の劇団
の役者へのサービス提供のような響きがありますが、そんなサービス提供とい
う「容れ物」だけを考えていてもあまり実質的意味はありません。やはり、この
げきぴーで仕事が活発になされ良い研究成果が出ていることが一番重要で、それで、
「是非、げきぴーに行って演劇をしたい」と日本の役者達に思ってもらい自ずとげきぴー
に多くの役者が集まってくる、良い状況が生まれるのだと思います。
ですから、練習時間ができるだけ確保できるよう、書類書きなどのadministrative
な仕事を皆さんに過度にお願いすることがないよう、できるかぎりケアし
たいと思います。もちろん、そういう書類作りなどを皆さんにやって頂くことは
避けがたいことです。例えば、昨年も、21大都申請や、組織替え、さらには紅天女
試演に向けての「マヤ・亜由美さん支援計画」ワークシート作成など、大変忙しかったと
聞いております。それらはどうしても皆さんの協力が必要で仕方がない必要悪だ
と思います。ただ、できるだけ効率的にやるよう努力したいと思います。
矛盾するようですが、私は劇団は基本的には会社などより「ひま」だ
と思っています。企業はやはり多くの社員・役者を育て教育するという業務
があり、教育、オーディションなどのそれに付随する行政的雑務がごまんとあり極めて多忙
です。ですから、劇団のスタッフも「必要最小限」の雑務をして頂くのは当然
のduty であるという認識もしておいてもらいたいと思うのです。もちろん、こ
こは企業と違って任期もありますから、企業と同じくらいにヘビーな雑務があれ
ばおかしいですが。そしてこの雑務のduty は、スタッフの間ではできるだけ公
平に分けるよう、一部の人に偏らないよう注意したいと思います。この点につい
ての皆さんのご協力をお願いします。公平といっても、セニアースタッフがより
重く、助手の人は軽く、というのはもちろんです。
所内のいろんな委員会委員のアサインも見直しが必要ですが、未だその性格
がよく把握できない状態ですので、7 月までは基本的に今のままで行きたいと思
います。もう少し様子がわかってから、duty の公平性や適材適所の観点から考え
直したいと思います。
それから基本的には、毎日劇団にきて、げきぴーのここで演劇をやって頂きたい
と思います。過度に、自宅にこもるとか、外国出張ばかりとかいうのでは、げきぴー
のこの場が皆が滞在したい活発な演劇の場にならないことになってしまいます。
ここでつまらないかもしれないですが、各人の心のドアについています
「バリア(ガラカメ読者に向けられる一般社会の冷たい視線に耐えるためのもの)」
を外すことを提案します。人により、自分がガラカメ読者であること
を公言している人もいますが、
多くの人は自分がガラカメ読者であることを隠しています。そして外部から人がこのげきぴー
を来訪し、団員皆がガラカメ読者であることを隠していたら、訪問者を冷たく拒絶し
ているようです。やはり、団員が自らパントマイムでガラカメを語らない限り、わざわざ自分
からリスクを冒してまでガラカメのパントマイムをしよう
という気になるのは余程のガラカメまにあである人しかいません。やはり、
活発な雰囲気を作るにはまず、必要な場合以外は基本的には心のバリアを開けて
おく、というのをデフォールトにすべきだと思うのです。劇団オンディーヌでは、皆が
ガラカメ読者で油断もできないとか、栄進座では確か、コアなガラカメ読者でなければ敷居を
またがせてもらえなかったよ
うな記憶があります。一ツ橋学園は並のガラカメ読者でも入れましたが、やはりほとんどが
マニアで、おおむねパントマイムで語っていたように思います。
最後になりましたが、げきぴーの活発化のためのいろんなアイデアもご提案下さ
い。この間は、今パントマイムの研究者でやっている金曜日の昼食会を全分野でやろう
ということを話していました。それから各所員のホームページを整備しようとか、
いろいろあります。それに今年は50 周年記念シンポジウムを開かねばなりませ
ん。この組織委員会も近く立ち上げ、シンポジウムでげきぴーの過去と現在を検証し、
将来像を探る貴重な機会としたいと思います。