ハドロンビームを用いたストレンジネス核物理

ストレンジネスとは?

自然界に存在する原子核は陽子や中性子といった核子からできています。 さらにこれらの核子はアップ (u) クォークとダウン (d) クォークという 2 種類のクォークという素粒子の組み合わせで構成されています。

しかし、この世界のクォークはこの2種類だけではなく、図1のように、全部で 6 種類存在することが知られています。 残りの 4 種類は先の 2 種類に比べて重く不安定で、 軽いクォークである u クォークや d クォークにすぐに変わってしまいます(これを崩壊といいます)。
  • 図1:6種のクォーク

u、d クォークの次に軽いクォークは何でしょうか? それがストレンジ (s) クォークです。核子を構成する u、d クォークのうちいくつかを s クォークに置き換えた粒子を ハイペロンと呼びます。これらは核子の仲間のバリオンであり、図2のような粒子が例として存在します(Λ、Σ、Ξ 等)。 他にも、s と u クォーク, もしくは d クォークの 2 つのクォーク (クォークとその反粒子である反クォークの組み合わせ) からなる K 中間子など、様々な粒子が u、 d、 s クォークの組み合わせで構成されます。

s クォークを含んだ粒子を含む量子多体系、 つまりストレンジネス (ストレンジネス量子数) を持つ原子核が、私たちの主な研究対象です。 s クォークを含むバリオンであるハイペロンが 原子核に束縛した系を「ハイパー原子核」と呼びます (単に「ハイパー核」とも言う) (図3参照)。 私達の研究室では、ハイパー核の性質研究を先端的な実験技術を駆使して展開しています。

  • 図2:バリオンの例

  • 図3:通常原子核、ハイパー核

何がわかるのか?

原子核と電子の間には電磁気力により、引力がはたらいています。このおかげで電子は原子核のまわりに存在し続け、この電子と原子核から原子は構成されています。

では、原子ではなく、陽子や中性子の集まりである原子核ではどうでしょうか。
自然界には全てで4つの力が存在しています。陽子や中性子の間にはそのうちの強い力による核力がはたらいており、その強さは電磁気力の100倍程に及びます。この力が陽子の間にはたらく電磁気力より大きく、さらに引力なので陽子や中性子は原子核を構成することができます。

ここで疑問が生じます。陽子や中性子を超えて、先ほどのストレンジネス核物質ではこの力はどうなるのでしょうか?同じように引き合うのでしょうか?それとも反発しあうのでしょうか?力の大きさはどれ程でしょうか?

実験を通じてこの謎に対しての情報を手に入れ、物質の構成を統べる強い相互作用についての理解を深めていくことが我々の目的です。

実験手法

ストレンジネス核物質の性質はどうすれば調べられるでしょうか?
まずは、ストレンジネス核物質を大量に作る必要があります。それには大型の加速器が必要です。私たちは主に、茨城県東海村にあるJ-PARCという加速器施設を使用します。

加速器の高運動量ビームを標的中の原子核にあてると、強い相互作用により様々な粒子が現れます。その中には、π中間子や先ほど説明した、K中間子も存在します(図4参照)。これらの粒子を使って、ストレンジネス核物質を生成します。J-PARCでは世界最高クラスの強度のK中間子やπ中間子を使うことができ、非常に適した実験環境にあります。

次に、生成された核物質を観測します。最初に説明した通り、ストレンジクォークはより軽い物質にすぐに崩壊してしまいます。そのため、観測するには様々な工夫や方法がとられています。例えば、ハイパー核の生成にかかわった粒子のエネルギーや運動量を正確に観測することによってハイパー核の性質(ハイペロンと核子の相互作用)を調べることができます。

  • 図4:粒子生成の例

J-PARC E70実験

様々な実験のうち、E70:Ξハイパー核分光実験を紹介します。
Ξ粒子はストレンジクォークを2つ含むバリオン(核子の仲間)です。Ξ粒子が原子核中に束縛されている、Ξハイパー核の欠損質量分光実験(図5)を行う事でΞ粒子と核子の相互作用(ΞN相互作用)に関する情報を得ることを目的としています (参考資料:「S-2SとAFTを使った高分解能グザイハイパー核分光」、原田 健志、S-2S ワークショップ (京大)、2023 年 8 月 19 日)。

現在まで、ストレンジクォークを2つ含む系の実験情報は数例に限られています。また、Ξハイパー核の束縛状態をピークとして観測した例はありません。ピーク構造を観測できれば、ΞN相互作用の貴重な情報を得ることができます。我々は大強度のK-ビームを利用できるJ-PARCにおいて、高分解能のS-2Sスペクトロメータ(図6)やアクティブ標的を用いることで、従来の実験よりもエネルギー分解能を向上させ、このピークを初めて観測することを目指しています。

S-2S スペクトロメータは K1.8 ビームライン実験エリアにインストールされ、 2023 年 6 月には実際のハドロンビームを使った試験的データの取得を行いました。 詳細なデータ解析は進行中ですが、概ね検出システムが設計通り動作していることが確認できました。 2023 年度中には物理データの取得を開始する予定です。

  • 図5:E70実験で探索する、11Bと-の束縛状態である12Be。入射K-と散乱K+の運動量をスペクトロメータを用いて測定し、欠損質量を計算する。

  • 図6:S-2S D1電磁石

  • 図7:アクティブ標的のテスト実験の様子

J-PARC E94 実験

ハイペロンの内、Λ (uds クォークで構成される) は最も軽い粒子であるため中性子星の高密度環境 において、より低密度領域で自然に発生すると考えられています。 すなわち、中性子星の内部構造を理解する上で Λ と核子の間 (ΛN) に働く 強い相互作用の理解は s クォーク系に拡張されたバリオン間相互作用研究 において、最も重要な相互作用であると言えます。 ΛN 相互作用を理解するためには、 Λ ハイパー核の質量分光研究が主要な役割を担います。 ΛN に働く強いちからにおいて、最も特徴的な性質が 「荷電対称性の破れ」 (Charge Symmetry Breaking = CSB) です。 Λ-中性子間とΛ-陽子間 に働く相互作用が異なっているということです。 Λ はアイソスピンを持ちませんから、荷電対称性が破れている、つまり アイソスピン依存性があるという事実はとても不思議なことです。 ΛN CSB は実験的に発見されてから 50 年以上経ちますが、 未だ最新の理論研究をもってしても定量的な説明がついていない「パズル」であり、 多くの科学者が解決を目指して先端的な研究を展開してます。

J-PARC E94 実験は、Λ ハイパー原子核の質量を極めて正確に測定することで ΛN CSB の謎の解明を目指します。一秒間に 10,000,000 個 もの π+ 中間子 を実験標的に照射し (500 万個 / 2 秒間スピル長)、 (π+,K+) 反応によって生成された ハイパー核の生成信号を高精度で測定します。このときに、生成した K+ は 反ストレンジクォークを含む中間子であることから、原子核にストレンジクォークを埋め込んだ 可能性がある事象のプローブとなります。私たちは、K+ を新しく設計・建設した S-2S 磁気分光器を用いて Δp/p ~ 0.06% (半値全幅) もの高精度で運動用解析し、 ハイパー核の高精度分光を実現します。

2022 年に実験申請を行い Stage 1 として採択されました。2023~2024 年に 実験技術面でのレビューを受けて、2024 年度中の実験施行を目指して準備を進めています ( 参考資料:「S-2S による (π+,K+) 反応を用いたラムダハイパー核分光 J-PARC E94 とその先の研究」、後神 利志、S-2S ワークショップ (京大)、2023 年 8 月 19 日)

図 7:J-PARC に設置されたS-2S 磁気分光器の写真と J-PARC E94 実験の測定条件。

メンバー、お問い合わせ先

京大メンバー
(2024年4月時点)
岩井 沙彩(大学院生・M2) 江端 健悟(大学院生・D2) 原田 健志(大学院生・D4) 後神 利志(助教) 永江 知文(名誉教授)
卒業生 (修了後進学も含む) 博士
七村 拓野(2022 年度博士修了) 江川 弘行(2019 年度博士修了) 足立 智(2018 年度博士修了) 佐田 優太 (2017 年度博士修了) 市川 裕大 (2015 年度博士修了) 森津 学 (2014 年度博士修了) 杉村 仁志 (2014 年度博士修了) 三輪 浩司 (2006 年度博士修了)

修士
高橋 秀治(大学院生・M2) 江端 健悟(2023年3月修士修了、D 進学) 大橋 翼(2021年3月修士修了) 原田 健志(2020年3月修士修了、D 進学) 越川 亜美 (2018年3月修士修了、D 進学 (東北大)) 七村 拓野 (2017年3月修士修了、D 進学) 竹中 耕平 (2015年3月修士修了) 天野 宣昭 (2014年3月修士修了) 石黒 洋輔 (2013年3月修士修了) 江川 弘行 (2013年3月修士修了、D 進学) 金築 俊輔 (2013年3月修士修了、D 進学) 市川 裕大 (2011年3月修士修了、D 進学) 浅野 秀光 (2010年3月修士修了、D 進学) 足立 智 (2010年3月修士修了、D 進学) 佐田 優太 (2010年3月修士修了、D 進学) 杉村 仁志 (2010年3月修士修了、D 進学) 林 勇治 (2009年3月修士修了) 森津 学 (2009年3月修士修了、D 進学) 岡村 敦史 (2008年3月修士修了、D 進学) 平岩 聡彦 (2008年3月修士修了、D 進学)
連絡先

「興味がある方はお気兼ねなくご連絡ください」

永江 知文 (ながえ ともふみ)
nagae.tomofumi.8u _at_ kyoto-u.ac.jp
理学研究科5号館 205 号室
075-753-3854

後神 利志 (ごがみ としゆき)
gogami.toshiyuki.4a _at_ kyoto-u.ac.jp
理学研究科5号館 207 号室
075-753-3871

関連研究グループ

電子ビームを用いたストレンジネス核物理