質量の起源を探る

J-PARC E16実験グループでは、原子核中におけるハドロン質量の精密測定から、物質の質量獲得機構に迫る実験を行っています。ハドロンとは、クォークが複数個集まってできた粒子の総称です。

身近な例では陽子、中性子をはじめとして、今日までに多くの種類のハドロンが見つかっています。”クォークが集まって”というラフな表現をしましたが、実際には量子色力学(QCD, Quantum Chromo Dynamics)と呼ばれる、クォークとグルーオンの相互作用を記述する理論に基づいて、ハドロンの状態は決まっています。

では、ハドロンの質量はどのようにして決まっているのでしょうか?2012年7月に、CERNにてヒッグス粒子の存在が実験的に確認され、素粒子が質量を持つ機構は説明できるようになりました。しかし、ヒッグス機構はハドロン質量のほんの数%しか説明していません。

例えば身近なハドロンである陽子は、938 MeV/c2の質量を持つことが知られています。一方で、陽子を構成している3つのクォーク(アップクォーク2つとダウンクォーク1つ)がヒッグス機構で獲得する質量は、それぞれ数MeV/c2程度です。ハドロンにおける大きな質量生成を説明するためには、QCDの理解が必要不可欠となっています。

ハドロンの質量起源を説明する有力な理論として、1961年に南部陽一郎氏によって提唱された「カイラル対称性の自発的破れ」が挙げられます。カイラル対称性が破れることで真空にクォーク対が凝縮し、ハドロンはこれらと相互作用することで質量を獲得します。(図1)

クォーク凝縮は、カイラル対称性の自発的破れを特徴づける非常に重要な物理量ですが、実験で直接測定することはできません。しかし、例えば宇宙初期のような高温・高密度環境下では、カイラル対称性の回復に伴いクォーク凝縮の量は少なくなると予想されています。(図2)

つまり、異なる環境下でハドロン質量の測定を行えば、質量へのクォーク凝縮の寄与を明らかにすることが可能になります。我々E16実験グループは、原子核内という高密度環境で質量測定をすることで、クォーク凝縮とハドロン質量を関係づける理論の検証を行います。

実験は、茨城県東海村にあるJ-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex)という施設で行われます。直径約500 mのシンクロトロンリングで加速された30 GeV/cの陽子を取り出し、一次ビームとしてそのまま利用する「高運動量陽子ビームライン(high-pビームライン)」が2020年春に新設されました。E16実験はこのビームラインで行われる初めての実験となります。

E16実験では、φ中間子の電子対崩壊を利用して質量測定を行います。電子はレプトンのため強い相互作用をしないので、終状態が相互作用の影響を受けないという利点があります。またφ中間子は質量1020 MeV/c2に対して4 MeV/c2と狭い崩壊幅を持つため、数%というごくわずかな質量変化を測定するのに適しています。

一方で、φ中間子の電子対崩壊の分岐比は10-4と非常に小さいという欠点もあります。J-PARCの大強度陽子ビームラインを活用し、さらに大立体角をおおうスペクトロメータを開発することで、先行研究の100倍の統計量のデータ取得を目指しています。

E16実験は、2020年現在ほとんどの検出器の開発とインストールを終え、物理データ取得に向けて今まさに動き出そうとしている実験です。またJ-PARCの高運動量陽子ビームラインではじめて行われる実験であり、このビームラインにおける今後の研究展開をリードする非常に重要な実験でもあります。

  • 図1:ハドロン質量獲得機構の概念図

  • 図2:クォーク凝縮の温度密度依存性

  • 図3:E16実験で使用するスペクトロメータ